ゆきノート

好きな本や音楽、同棲中の恋人とのことなどについて。

2021年の目標

 

達成できているかどうかは置いておいて、いつも年初めは一年の目標を考えるようにしている。

 

今年の目標、まずは料理が上達するといいなあと思う。昨年の11月に同棲を始め、年末までの1ヶ月の間はできるだけ夕食は自炊するようにしていた。私はもともと料理に苦手意識があり、何度やっても自分の作った料理に満足が行かず落ち込んだりしていたのだが、いざ生活のために半ば義務的に料理をするようになると意外と問題なく作業できるようになった。適応能力の高さは自分の長所だと思っているのだが、それが今回もしっかりと発揮されたようだ。慣れってすごい。学生の頃彼の一人暮らしの部屋に泊まりに行っていた時は、料理が苦手すぎて泣きながら親子丼を作った思い出もあるくらいだったのに、あと半年もすれば、頑張ればフレンチのフルコースなんかも作れちゃうのではないかと思えるほど自信に満ち溢れている。やったるで。

 

次に、これはメンタル的な問題なのだけれど、細かいことでくよくよしないようにしたいと思う。学生の頃からずっとネガティブ思考で、まさに「自分なんか…」というようなことばかり考える人間だった。しかし人間というものは歳をとる毎に図々しくなるものなのか、最近になって開き直りの精神が身についてきた気がする。「だって終わったことはしょうがないし」「だってそれが私だし」「私間違ってないし」でだいたいどうにかなる。自分に明らかに非がある時はダメだけどね。この調子で憧れのスーパーポジティブ人間になりたい。落ち込んだ時も、自分の機嫌を自分で取れる大人の余裕を手に入れたい。

 

それから資格を取りたい。本当は昨年の間に日商簿記3級を取得するつもりだったのだけど、受検申し込みをしようとしたら既に定員に達していて受験資格すら得られなかった。1月に次回の試験の申し込みがスタートするので、今度はその日のうちに手続きが出来るようにしたい。勉強は面倒だけれど嫌いでは無いので、余裕があれば他にも何か資格を取ってみてもいいなあと思う。

 

あとは、本を読みたい。昨年度末にその年に読んだ本を振り返ってみたら、意外と冊数を読めていなくて「あら」と思った。読書とは量をこなせばいいものだとは思っていないが、たくさんの本に触れられるのならそれに越したことはない。今年は月に4冊、一年で約50冊くらいは読めるといいなあと思う。同棲し始めてからは、恋人がソファに座ってゲームをしている時に隣で読書をするという機会が多く、意外と読書量が増えたので、割とそれくらいは行けるのではないかと思う。しばらく使っていなかった図書館も、帰り道にあることだしこれを機に活用してみたい。

 

今年一年、これだけできればきっと万々歳。無理のない程度でこなしながら今年も楽しく暮らして行こうと思う。

大晦日

あっという間に年も明けて、今日から2021年というわけで。昨年はありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。

 

晦日の昨日は、朝のうちに恋人が帰省のため家を出るのを見送った。私たちはこの冬から同棲中で近々入籍の予定もあるが、現時点では一応未婚なので年末年始はそれぞれの実家に帰る。彼は関西の生まれなので、私たちの暮らす愛知県からは新幹線で帰省。一方の私は愛知県生まれ愛知県育ち、実家も自分の家から車で15分の距離なのでのんびりと家を出ることにした。

妹が夕方に車で私の家まで拾いに来てくれると言うので、それまで一人で家で過ごす。大晦日から三が日までしばらく家を空けるので、ある程度そのための準備をしておくことにした。洗い物をし、軽く家中を掃除し、ごみをまとめ、洗濯機を回して部屋干しにする。全タスク完了、それでもまだ妹の到着までは時間があったので、年末らしくだらだら過ごすことにした。同棲し始めて新しく買ったテレビはネットに繋がるもので、サブスク動画配信サービスの動画をテレビで見られる。故にドラマや映画やアニメを非常に快適に鑑賞することができる。今は呪術廻戦にハマっている。多分鬼滅ブームによって「アニメって面白いんじゃん」って気づいた人は多いと思うのだろうけど、私ももろにそれで、今は色々なアニメを見てみたいと思っているところである。呪術廻戦は劇中にかかる音楽やエンディングがオシャレで「おお~」と思った。五条先生めちゃめちゃかっこいいね。

アニメを見たりリングフィットで遊んだりしていると妹から「着いた」と連絡があったので、身支度をして家を出た。

 

外は雪が降っていて、積もるほどでは無いのだが一番強く降っていた時間は運転に多少の恐怖を覚えるほどだったと妹から聞いた。実家へ向かう15分の道中でも、一時雪の粒がかなり大きくなったりして「冬~!」と思った。

 

我が家では、大晦日は家族でしゃぶしゃぶを食べるのが恒例となっている。ちゃんとした良い牛肉、ちゃんとした良い鮪の刺身、500mlのビール(いつもは飲まないヱビス)。年末年始はこうでなくっちゃ。紅白を見ながら酒を飲み、ご馳走をいただく。今年の紅白、NiziU可愛い、YOASOBIエモい、LiSAちゃんカッコイイな煉獄さ~ん!、という感じだった。それにうちで踊ろうは2番も追加されて最高だった。源さんの曲にはみなの心を穏やかにする力がある。

 

そのままの流れでジャニーズカウントダウンを見る。各グループ別々の場所からの中継というのも、それぞれの個性が色濃く出てなかなか良かった。「東京!」って感じがして地方在住としてはテンションが上がる。私の好きなNEWSも2020年に色々あったけれど、今は前にも増して大人のお兄さんグループ感出してて素敵だなあと思う。これからもゆるく推していきたい。

 

同棲のために実家を出てから規則正しい生活をするようになったからか、年が明けるともう眠くなってしまい、そのまま寝た。もうちょっと年齢を重ねたら、なんなら年明けの瞬間まで起きていられなくなる気がしている。まあそれはそれで。

M-1と回鍋肉/アリとアリクイ

先週末、恋人と私の家族でお酒を飲んだ。うちは私と妹の2人姉妹だったので、きっと父は、いわゆるキャッチボールをしたりする息子がいなかったことが多少寂しくはあったのだろう。義理とは言え息子となる存在が現れたのが嬉しいらしく、いつもよりたくさんお酒を飲んでご機嫌だった。前日が誕生日だった父のために恋人と私と二人で買ったプレゼントのビール用タンブラーの紙袋、それに自分の上着を忘れて店を出ようとしていた。帰りはお酒を飲まない妹が運転して母と3人で実家に帰ったようだが、家に着いて車を降りたときにスマホを落としてフィルムが割れ落ち込んでいたと、母からLINEが来ていた。しっかりしてほしいとは思うが、よほど嬉しかったのだろうなあとちょっとほっこりした。

 

翌日はM-1グランプリの放送日だったので、それを一日のスケジュールの軸に据え、気合いを入れて放送を待った。特に恋人がお笑いが好きで、私もまあ人並みにはYouTubeで見たりもする。これまでは私は実家暮らし、彼は実家を離れての一人暮らしだったので、年末はお互い別の場所で過ごしていた。しかしこの冬に同棲を始めたことにより、M-1を一緒に見られるようになったので気合十分というわけだ。しかも最近買ったテレビは50インチ。これはリアタイするしかないじゃないか。

漫才が始まるまでの前置きの時間を利用して、二人で分担して部屋の掃除、風呂・トイレ掃除、夕食の準備を進める。段取りが悪くちょっと間に合わなかったので、比較的お笑いへの熱意が薄い私が料理を仕上げる。講評やCMになったらキッチンに立って野菜を炒め、次のコンビの漫才が始まればテレビの前のソファに着席する。それを3回くらい繰り返し、やっと夕食が出来上がったので二人で食卓に着く。視線は常にテレビへ向かっていたが、クックドゥではなく豆板醤と甜面醤で作った回鍋肉はなかなか美味しかった。

マヂカルラブリーの優勝については、私はもともと好きだったので非常に嬉しかった。ああいうぶっとんだ笑いが頂点に立ったことが清々しかった。漫才の定義みたいなものは、私はにわかお笑い好きなのでよく分からないが、そういうのに関係なくこんな時代だからこそ笑いというものの持つ力は偉大だなあと思う。

ずっとお笑いを見ていたら、芸人の世界を描いた小説を読んでみたくなった。又吉直樹『火花』は芸人の話か。これは読んだことある。もっとどっぷりお笑い界について描いたものも読んでみたい。パッと思いつくのは、児童向けだけどあさのあつこTHE MANZAI』とかはそうなのだろうか。

 

先日、突然ふと頭の中にとある曲が浮かんだ。子どもの頃に聴いた、「アリクイはアリを食べる」という歌詞で始まる曲。気になり過ぎて調べてみると、2000年前後の「むしまるQ」という子供番組で放送されていた「アリとアリクイ」という歌だった。歌手名は水木一郎橋本潮となっていた。懐かしいなあと思って歌詞を調べたら、食物連鎖の話から始まり、最終的には、「ある愛護団体があるときアリの捕食を禁止したら『アリがあり余って足の踏み場もない』」と展開されていた。そんなに深い曲だったとは。子供向けの曲とか絵本って意外と大人が考えさせられるものが多いよね。

そのあと流れでアリの巣に蟻地獄を放つ鬼みたいな動画を見た。皆が知っているあの蟻地獄は幼虫で、しかも巣にいるアリは群れをつくっているため、蟻地獄にとっては多勢に無勢でアリのされるがままになってしまうらしく、投入後1分も経たずに救出されていた。アリにしろ人間にしろ、群れを作ると強いし怖い。

 

最近思ったのだけれど、横書きより縦書きの方が何となくサクサク読める気がしませんか?私個人としては、スマホでネットニュースや誰かのブログを読むときはなかなか思うように読み進まないのだけれど、縦書きの本はすらすら読める。あれは何なんだろう。何かしらの先入観が働いているのか、それともただ単に液晶を眺めるのに疲れるのか。同棲を始めてから、恋人がゲームをしている横で本を読むことが多くなって読書量が増えそう。近くの図書館の利用カードが実家のどこかに眠ったままなので早く救出しなければと思う。

 

気付けば今年もあと2日とちょっと。無事に仕事も納めたし、いつも通りのんびり過ごしていこうと思う。

 

年末に聴きたい曲↓

 

ラストデイ

ラストデイ

  • きのこ帝国
  • ロック
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes

 

クロノスタシス/チョコレートワッフル

木曜日の夜、仕事を終えて帰宅し、家で夕食を食べ終わってから恋人と夜の散歩に出掛けた。その日は彼が一日在宅勤務の日で家からほとんど一歩も外に出ていなかったため、ちょっとは外の空気を吸いたいと歩きに出かけるのについていった。

彼は元々歩くのが好きらしく、ずっと歩いていても苦にならないらしい。一方の私はあまり身体を動かすのは得意ではなく、できることならずっと家でダラダラと寝ていたいタイプなので、ちょっと歩いているとすぐ疲れる。それにこの季節に、しかも夜中に外にいるだけでとても寒く、体温を維持するだけで十分に体力を使う。

それでもやはり、好きな人と一緒に色々とおしゃべりをしながらのんびり歩くのは楽しいものである。家からゆっくり歩いて15分ほどの駅の方まで向かう。結構大きな駅で、この季節になると駅前がイルミネーションに彩られるのだ。それを見に行きがてら、だらだらと歩を進める。散歩中は家にいる時や電車に乗っている時と違い、スマホや本を見るタイミングがないので、自然と会話が生まれる。最近仕事中にあった話や、子どもの頃の話、明日の夕ご飯の話など、脈絡もなくたくさんの言葉を二人で紡ぐ。そうしているといつの間にか駅前にたどり着いていて、車で遠巻きに見た時はイルミネーションの電飾がすごく綺麗に見えたのに、近くで見ると意外とそうでもないことにがっかりしたりする。駅ビルの中を通って帰る間に、来週に予定されている北海道物産展のポスターを見つけ、来週末はロイズのチョコレートを買って家で食べようと約束をした。

帰りにコンビニに寄って、飲み物を買った。私はホットカフェオレ、彼は500mlの牛乳パックに入った紅茶オレ。彼は気温に関係なくアイスドリンクを好む。家で紅茶を淹れる時も、真冬なのにもかかわらずたっぷり氷を入れたグラスに紅茶を注ぐ。歩きながらそれぞれの飲み物を飲む。ホットカフェオレの合間に一口だけ紅茶織れをもらった。冷たいけれど、甘くてほっとした。

飲み物がなくなるのと同時に家に着いて、寒かったけれどたまにはこういうのもいいねと笑い合った。彼が在宅勤務の日は、夜の散歩に出かけるのが恒例になりそうだ。外の空気で冷えた身体を温めるためにシャワーを浴びているとき、きのこ帝国の「クロノスタシス」を思い出した。夏の夜に散歩をするときは、コンビニエンスストアで350mlの缶ビールを買って歩いたりするのだろうか。

 

金曜日の夜は、週末ということもあり家でお酒を飲むことにした。近所のスーパーで、酒を飲むためだけの雑な買い物をする。買い物かごに放り込むのは、いかにもお酒のあてになりそうな魚介類、惣菜、お菓子、それに2Lペットボトルのミネラルウォーター。最初はポットで麦茶でも作って冷蔵庫に常備するかと話していたが、結局面倒くさくて、うちの冷蔵庫には常にミネラルウォーターが入っている。

家に帰って私が鰤の刺身を切り、彼が子持ちカレイを煮つけにする。パック惣菜の鶏の竜田揚げとメンチカツを皿に盛り、電子レンジで加熱する。ここのスーパーの竜田揚げとメンチカツは絶品なのだ。

スーパーで適当に買った白ワインを開け、鰤の刺身、子持ちカレイの煮つけ、スーパーの揚げ物と一緒にいただく。白ワインはかなり甘口で、ご飯と一緒に飲むにはあまり進まなかった。やっぱりご飯の時に飲むなら甘くないお酒がいい。

皿が空になったら、冷蔵庫で冷やしてあったワッフルを取り出した。今週ずっと、駅中のキオスクの前でどこぞのケーキ屋さんが出張販売をしていたのだ。平日の仕事帰りに毎日、いいなあと思って店の前を通り過ぎた。週末になって、自分へのご褒美にと思って満を持してワッフルを二つ買った。こんなややこしい世の中を生きていくには、軽率に自分へ褒美をあげるのがとても効果的だということを最近学んだ。

私にはチョコレートのワッフル、恋人にはフルーツの入ったワッフルを買った。ビニールの包みを開くと、フワフワのワッフル生地の中に生クリームと細かく粉砕されたチョコレートがぎっしり詰まっている。生クリームは正直得意ではないのだけれど、夕食にしょっぱいものをよく食べたからか、この日の生クリームはなんだかすごくおいしく感じた。同棲を始めてからは、食事、睡眠共に意外と規則正しい生活をしているからか、少し体重が減った。だから、たまに夜に甘いものを食べても良い、ということに最近決めた。

好きな人と、よく食べて、よく遊んで、よく眠る。そんな生活の幸福に浸っている、今日この頃。

雪/痛くない幸せ/チャンプルー

昨日の夜は雪が降り続いていたようで、朝起きると道の上にもうっすらと雪が積もっていた。いつもなら駅まで自転車に乗っていくところを、少し危ないかと思い歩いて駅まで向かう。もう降らないかと思っていたのに歩き始めるとまたちらちらと降り始め、頭に薄く雪を積もらせながら歩みを進めた。

 

昨日に受けたインフルエンザの予防接種の跡が、腫れて痛い。例年は腫れたりしないのに、今年は見て分かるほどに赤くなってしまっている。熱も持っていて触ると痛い。他の注射を打った人たちも、そういえば今年のワクチンは腫れやすいと言っていたのを思い出した。

それに加えて一昨日やったリングフィットのせいか脇腹が筋肉痛だ。ダイナミック見返り美人図みたいなトレーニングを行ったので、その影響だと思う。くしゃみをするたびに、両脇腹に衝撃が走る。身体のどこにも痛みがない状態がいかに幸せなことかを思い知った。

職場の最寄りの地下鉄の駅から出ると、コンクリートの階段の隅に冷凍のから揚げの袋が落ちていた。お徳用だ。なぜこれがこんなところに落ちているのかと思いを巡らせる。からあげくんのゴミが落ちていたのなら、「歩きながら食べていた人が食べ終わってポイ捨てしたのだな。けしからん」という話なのだけれど、これが落ちているのは全く意味が分からない。冷凍のまま大量のから揚げを歩きながら貪った輩がいたのだろうか。

 

最近Tiktokか何かで流行っていたという、yamaの曲をサブスクで聴いてみた。いい意味で今どきのお洒落な曲調で、なかなか好きだなあと思った。特にDowntownが好きだ。星野源のDown Townといい、こういう曲名の曲は多分私は大体好き。

 

最近、頭が良くなりたいと常々思う。私は頭が悪いのだ。勉強はできるのに、どこか世間知らずで抜けているタイプだと自分で思う。ニュースを見たり新聞や本を読んだりして知識を増やすなり、何かしらしないといけない。料理をするのが脳の働きの改善に良いと聞いた。確かに私は料理が苦手だ。色々な作業を同時進行で行うのがどうも苦手なのだ。料理をすることで考えて物事を進める力が身に着くらしい。なるほど。

料理をすれば頭も良くなって、同棲中の恋人にも喜んでもらえて一石二鳥だなあとも思う。料理をすることで、料理が下手な自分に落ち込みメンタルがガタガタになる悪い癖をとりあえずやめたい。今週末にでも簡単なものを作ってみようかしら。

 

今日はとりあえず帰りに本屋に寄って、頭が良くなれそうな本を探そうと自己啓発のコーナーを覗いてみた。私は何かに悩むと本を買う習性がある。生活の中でつまずくと本を買おうとするのだ。今日は結局何も買わずに本屋を出た。どの本がいいかよくわからなくて、「今日はまあいいや」と店を出てしまった。自分で何も決められない優柔不断な自分が嫌で本屋に入り、何も決められずに店を後にした。こういうところだぞ、自分。まあくよくよしてもしょうがないので、ゆっくり考えていくことにする。

 

今日は恋人が在宅ワークの日だったので、私が仕事を終えて家に帰ると夕食を作って待ってくれていた。前にも作ってくれて私がとても気に入った、チャンプルー。今日は鶏肉とキャベツのだった。恋人の作ってくれるチャンプルーはとても美味しい。まだ一緒に暮らし始めて3週間だが、今のところ彼の料理の中で一番好きだ。私の作る料理の中で彼が一番好きなのはマグロの照り焼きだ。やっぱりお互いがある程度料理ができると便利だし楽しいなあと思う。

 

明日は金曜日なので、仕事の後はさっさと帰って家でお酒でも嗜みたい。最近、梅沢富雄がCMをやっているレモンサワーのもとを買った。とても美味しい。QOL爆上がりである。明日の夜が楽しみだ。

仲の良い家族・家電購入

今週末は、金曜日の仕事終わりに妹の家の近くの駅まで行った。繁忙期にしては運良く定時で上がることができた。交通費をケチって、妹宅の最寄駅ではなく定期圏内の駅で降りて、十数分歩いて向かう。

妹は最近一人暮らしを始めた。引っ越しを手伝いに行ってから1か月、ズボラな性格の妹の部屋はさぞかし散らかっていることだろうと思っていたが、意外と綺麗に片付いていて驚いた。実家では食器の片付けの衣服の整理もすべてほったらかしの人任せだったのが、自分だけの綺麗な空間を与えられると意外と頑張って整った状態を保とうとするのだと思った。洗濯物をたたむのを手伝っていたら、「バスタオルは二つ折りじゃなく三つ折りにして!」とやり直しを食らったぐらいだ。環境の力で人は変わるものだ。

その後は車で来た両親と合流して駅前で食事をした。タッチパネルで適当に焼鳥や一品料理を頼んで、飲む。お酒は美味しい。ビール、ジンソーダハイボールなど味のないお酒(私は甘くないものを「味のない酒」と呼んでいる)ばかり飲んでいたら、私のジンソーダを一口飲んだ父に「こんなんよく飲めるね!」と言われた。ものすごい酒好きだと思っていた父と渡り合えるレベルの酒好きに、いつの間にか私もなっていた。味のないお酒ばかり飲むのは、単純に甘いお酒を食事と一緒に飲むのが苦手だから、そして少しでもカロリーを避けたいからだ。太りたくないが酒は飲みたい。それを突き詰めた結果、比較的糖質が低いと言われるハイボールやワインを好むようになった。

うちの家族は、娘が二人とも成人した今になっても全員で食事に出掛けたり旅行に行ったりする。全員が比較的同じ県内に住んでいることもあるが、世の中的にはかなり仲がいい方だと思う。毎年家族旅行に行く家などなかなか聞かない。両親が遊びや旅行が好きなのが大きいのだと思う。子どもの頃私たち姉妹は、そんな両親に色々なところに連れて行ってもらった。遊園地にテーマパーク、水族館や動物園にショッピングモール。今の私がエンターテインメントが大好きで、本・映画・音楽を問わずどんなジャンルのものでも楽しむことができるのは、幼い頃に色々な経験をさせてもらった影響が大きいのではないかと思う。楽しい子ども時代を過ごさせてくれた両親に感謝である。

翌日の土曜日は、例によって恋人と落ち合って新居の家電選びに一日を費やした。洗濯機、冷蔵庫、テレビ、電子レンジなど、最終的に総額30万円ほどを購入。これらを来週末に新居に搬入してもらうことになった。これでもう本当に新居に住めるようになる。何件か家電量販店を巡って、見積もりを比較して、というのをやった。私はこういう時になんだか面倒くさくなってきて結局適当に購入を決めてしまうタイプなので、恋人がしっかり検討してくれる人で良かったと思う。

今は週末同棲のような感じで、お互い平日は実家、職場の社員寮に帰っているので、週末に新居に泊まる際はタオルを持って行かないといけない。しかしこれでもう洗濯ができる。冷蔵庫もあるからファミリーサイズのアイスを買えるし、夕ご飯を食べ終わったあとに50インチのテレビで映画だって見られる。いよいよ本格的に同棲生活が見えてきた。今繁忙期を迎えている仕事が落ち着くと同時に、二人で暮らすことになる予定だ。新居に好きな絵画を飾ったり、道具を揃えて自分でコーヒーを淹れることを楽しみに、繁忙期を乗り切りたい。

この週末もやることがいっぱいで楽しかった。明日からもまた一週間、ほどほどに頑張っていこうと思う。

面倒くさい自分が、好きで嫌い

電話で他愛無い話をしている間、自分がどういう人間だったか分からなくなる。明るいのか、暗いのか、天真爛漫なのか、穏やかで落ち着いているのか。普段の自分がどのテンションでどういう話し方をしているのかが、途端によく分からなくなるのだ。これはなぜか電話をしているときだけに起こる。対面で会話をしているときはそんなことはないし、経験して分かったことだがテレビ電話のときも発生しない。

おそらく、相手がどういうテンションで自分と会話しているのかが分かりづらいからではないかと思う。私には、相手の口調や気分の乗り方に自分のそれを合わせる癖がある。相手が楽しそうだと表情や身振り手振りで分かれば、自分も安心して楽しく話すことができる。しかし相手がどんなテンションでいるのかが分からないと、仮に相手がつまらなそうにしていた場合に自分だけ楽しそうにしているのが恥ずかしいやらいたたまれないやらで、それを避けるためにフラットなテンションで話さざるを得なくなる。本当に面倒くさい人間だと思うが、それが私なんだから仕方がないと思う。

面倒くさい人間、それが私だ。

自分が嫌いな自分が嫌いだ。でも、自分が好きだと思うときもある。自分のことを好きになれないところに自分の良さがあると思う。こんなダメな自分のことを結局愛さずにはにはいられない自分のことが嫌で嫌でたまらない時もある。自分でも何を言っているのか分からなくなってくる。そんな訳の分からないことばかりが私の頭の中をいつも埋め尽くしている。

自分で自分のことを褒められない。「自分ってすごい」と思えない。いや、思うときが全くないわけではないのだけれど、それも結局は「そう思わなければならない」と思って無理やりそう思っている可能性が高い気がしている。

考えてみれば、全ての行動の根底に「こうしなければならない」が横たわっているように思える。お昼に何を食べるか決めるのも、友人と遊びに出掛けるのも、お風呂に浸かるのも夜寝るのも、全部「しなければならない」から。だから何を選んでもいいとき、そして「こうすべき」という規範がない時にどうすればいいのか分からなくなってしまう。最近は、夕食に何を食べたらいいのかわからなくてコンビニに寄る気も起きず何も買わずに帰宅し、家に帰っても何もないので、冷蔵庫に辛うじて入っているヨーグルトだけを食べるというのがルーティーン化している。いつからか、食べたいものを決められなくなっている、決められないから、コンビニで食べ物を買うときは毎回これを買うというのを決めるようになった。極力カロリーが抑えられ、片付けの手間やごみの少ないものを、という観点で、買うものは何パターン化に固定化されている。

実にややこしい人間である。よくこれだけとっ散らかった脳内で、普通の、なんならしっかり者とよく言われるような人間に擬態して暮らしているなあと我ながら感心している。しかし、世の中のしっかり者の人たちは案外、みんな私みたいに頭の中がぐちゃぐちゃなのを上手いこと隠して生活しているのかもしれないな、とも思う。お調子者や天然と呼ばれている人たちの方が、実はすっきりとした脳みそをしているのかもしれない。「人は見かけによらない」ということは、これまでの人生でなんとなく学んできたつもりだ。

最近は、通勤の電車の中で星野源『そして生活はつづく』を読んでいる。初めは曲が好きで星野源のファンになったのだが、その後何冊か著作を読んで文章も大好きになった。『そして生活はつづく』も、数年前に文庫版を購入してこれまでに4,5回繰り返し読んでいる。やはり今回も面白い。好きなものは何度触れても最高。

この本の中のあるエッセイで、「ストレスを感じたことや不満や苦痛が、自分の創作活動の源になっていて、嫌なことだけれどそれがあったおかげで今の自分がある」みたいなことを源さんが言っている。その言葉にすごく救われた。自分のことはなかなか好きになれないけれど、そんな面倒くさい自分だからこそ身に付いた考え方や、そんな性格だったからこそ好きになれたことや出会えたものはきっとたくさんある。だから私は、自分が嫌いな自分が好きで、やっぱり嫌いで、でも好きだ。

『そして生活はつづく』は、くだらなくてほっとするけどどこか自分の在り方について考えさせられる、不思議で素敵なエッセイ集なので、是非読んでほしい。特に私みたいに脳内がとっ散らかった面倒くさい人間には絶妙に「刺さる」と思う。

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