ゆきノート

好きな本や音楽、同棲中の恋人とのことなどについて。

別れの季節に思いを馳せる

今日は恋人とカラオケに行ったのだけれど、恋人の歌っていた曲の中にこんな歌詞があった。

 

幼い頃飼ってたペットが死んだとき
あまりの悲しさに
出会わなきゃ良かったと思った
――amazarashi 「エンディングテーマ」より

 

あまりに世の中で使い古された言葉ではあるが、出会いがあれば必ずどこかで別れが待ち受けている。

恋人と私は、たまにいつか訪れる別れの時について会話することがある。

恋人と私は同い年なので、男女の平均寿命の差を考えると、女性である私の方が男性である恋人よりも先に死ぬ可能性が高い。その場合、恋人の生命の明かりが消えるその時に、私は正気を保っていられるのだろうか。泣き、叫び、全てに対する気力を失って抜け殻のようになって辛うじて生きている未来がうっすら見えて、怖い。

恋人は、私が死んだら自分も死ぬとよく言う。冗談か本気なのかはよく分からない、というか冗談であってほしいが、私が死んだらもう生きていく意味はないらしい。だから、恋人の中のビジョンでは先に死ぬのは恋人。その後しばらくは私は恋人のいない世界に生きる。

とはいえ私だって、恋人のいない世界に自分が生きる意味を見出だせるのかは分からない。私は、恋人と私のお互いへの愛情や思い入れは、それぞれ同じ大きさだと思っている。二人の互いへの思いを天秤の両側に乗せても、どちらかに傾くことはない。だとすれば、恋人が自分が先に死ぬビジョンを当たり前のように思い描いているのは少々自分勝手ではないのかとすら思えてくる。

この人が死んだら私も後を追って死ぬかも。

そう思えるほどに、なんなら病的なぐらいの愛情を自覚できる人間と出会えたことって、本当に幸せなことなんだろう。しかしそれほどまでに愛が重いと、それはそれで別れの時が来るのが怖くて怖くて仕方なくなってくる。

私の大好きなドラマ「カルテット」にこんなセリフがある。

「いなくなるのって、消えることじゃないですよ。いなくなるのって、いないってことがずっと続くことです。いなくなる前よりずっとそばにいるんです」

私がいなくなったら、恋人の中の私は消えない。私がいない時間が、恋人が死ぬまでずっと続く。

恋人がいなくなったら、私の中の恋人は消えない。恋人がいない時間が、私が死ぬまでずっと続く。

どちらを想像しても、苦しい。どちらかがいなくて、しかももう戻ってこないことが分かり切っている時間が将来確実に存在するのって、あまりに残酷だ。

人は必ず死ぬけど、自分が必ず死ぬっていうのよりも自分の大切な人が必ず死ぬっていう方がなんだかつらい。でも、その可能性を胸の中に感じながら、最後の時まで生きていかなければならない。だって人間だから。

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話は変わるが、先週の金曜日と今日の月曜日、私は有休を取った。土日と合わせて4連休である。

もともとこの連休を使って恋人と台湾旅行に行くつもりだった。ここ最近の世の中の混乱によって旅行が中止になったのは数日前の投稿のとおり。というわけで、わざわざ連休を取る必要はなくなったのだけれど、あまりに旅行に行けなくなったショックが大きすぎて、とても仕事に行く気にはなれなかったので、有休は予定通り消化することにした。

とはいえ、社会人には想定外のトラブルがつきもの。先週の最終出勤日、私の担当業務でちょっとしたトラブルがあって翌日以降にも影響の出る課題が生じてしまった。自分がちゃんとやることをやっていても、組織の都合で個人が振り回されるのが会社という組織の性である。

もともとは旅行に行くつもりだったから、強制的にでも他の誰かに仕事を引き継いで休暇を取る選択肢しかなかった。しかし旅行はなくなったので、私は休まず出勤して問題に対処するという選択を取ることができるようになってしまった。旅行に行くのはやめたもののその日は恋人と近場に出掛ける予定を立てていたが、社内では下っ端かつ臆病者の私は、そういった選択肢がある中で先輩に処理を頼むということができなかった。

上司と問題の業務について打ち合わせをしながら私は、楽しみにしていた旅行がなくなったうえに休みすら取ることができなくなりそうな状況が無償に悲しくなってしまって、頭の中が真っ白になってしまった。恋人との約束もキャンセルしなければならない。多分顔面は蒼白になっていたと思う。

そこに救世主が現れる。入社当時から一番お世話になっている年の近い先輩だった。

その人は、自分から誰かに仕事を任せることのできない私に、会話の中のさりげない流れで「自分が引き継ぐ」という意思を表明してくださり、しかも退勤するときには「後のことは心配しなくていいから、ゆっくり休んでおいで」と優しい言葉までかけて帰っていかれた。

定時を過ぎた後の、他の人が皆退勤して一人きりになったフロアで、私はその優しさをかみしめた。それとともに、入社2年目も終わろうとしているこの時期になってまで、先輩にこれほどまでの心遣いをさせてしまう情けなさに悲しくなった。

それでも、私の近くにはこんなに素敵な人がいて、そんな人たちに支えられてまともな社会生活を送ることができている。この感謝を表すために、私はこれから自分を必死に磨いて成長して、立派な大人になっていかなければならないな、と思う。

たくさんの人との出会いと別れが、私たちのこれまでの人生、これからの人生にはたくさん散らばっている。その中にはきっと自分が本当に大切だと思えるものがあって、それをどれだけ大切に守っていけるかを考えることが、「人を愛する」ということなんだと思う。