ゆきノート

好きな本や音楽、同棲中の恋人とのことなどについて。

人間関係だって取捨選択していいいよね

昨日は仕事終わりに恋人の家に行き、一緒に夕食をとり映画を見て話をして眠った。

今朝は恋人と二人で家を出て、駅まで一緒に話をしながら歩いて、改札で別れた。

仕事中は、先輩や上司に質問をすれば色々と丁寧に教えてもらえる。自分の仕事に必要な資料を渡してもらうよう依頼すれば、期限内に持ってきてもらえる。

昼休みは職場の女性陣で集まって、雑談に花を咲かせながら食事をとる。職場のお姉さん方にはいろいろと優しくしてもらったり構ってもらったりして、だいぶ可愛がってもらっていると思う。

午後、資料作成の過程で質問があって、関係部署に電話を掛けた。なぜだかわからないが、冷たい対応をされた。少なくとも、私はそのように感じた。電話の相手に対して何か悪いことをした覚え長いので、電話を切ってから困惑してしまった。

 

私の周りには優しい人、私によくしてくれる人がたくさんいる。私は昔から本当に人の運には恵まれる人生を歩んできていて、大学を卒業するまではほとんど、他人のことを「あの人は苦手だ」と思ったことがなかった。

が、やはり社会人になってみると、学生の頃よりも関わりを持つ人の年齢層も広くなったり、様々な人が集まる社会という場でのやり取りになるからか、合わないと感じる人とたまに出会う。

人間の脳や心というものは面倒にできていて、どうしてもポジティブなことよりもネガティブなことの方が印象に残ってしまう気がする。私が生活の中で関わりを持っている人はほとんど全員が優しい素敵な人なのに、たった数人の苦手な人、合わない人とのやり取りばかりが頭に残ってもやもやした気分になってしまう。

今日だってそうだ。午後にかけた電話の向こうの相手が少し冷たかったというだけで、しっかり落ち込んでしまった。なぜあの人は怒っていたんだろうか。前に回答を依頼した照会の期限を早く設定しすぎたからか。単に虫の居所が悪かっただけなのか。色々と考え始めてしまう。

でも、落ち着いた今になって考え直すと、そんなこと考えるだけ無駄なのではないかと思える。公私を問わず、日常的にやり取りする相手であれば、互いに信頼し合えるような人間関係を築けるように努力する必要もあるだろう。しかし、仕事で年に何回か必要があってやり取りするだけの相手だったり、そこまで深い仲ではない友人であれば、必死になって関係を良くしようとする必要は正直言ってないと思う。今日みたいに「どうして怒らせたのか」「どうすれば気に入ってもらえるか」とあれこれ考えすぎることはない。

そんなことより、好きな人や大切な人と、どうやったらよりよい関係を築いいていけるかを考えることに力を入れたい。いつも優しく私を愛してくれる恋人に、どうすれば私からも愛を伝えていけるか。これまで私を育て、全てを受け入れてくれた家族に、どうやって恩返しをしていけるか。社会人2年目のひよっこでまだまだ未熟な私でも、適当にあしらわずに一人の仲間として丁寧に接してくれる職場の方々の役に立つために、どうやって力を伸ばしていけるのか。

言葉は悪いけど、自分にとって重要度の高くない人に嫌われないように気を遣って過ごすか。それとも自分が大切だと思える人との関係を中心に据えて人生を考えるか。答えは明らかだ。

今までの私は、他人から嫌われないようにすることに重きを置きすぎていた気がする。でもこれからはもっと、自分が好きなもの、一生大切にしていきたいと思えるもののことばかり考えて生きていってもいいのかもな、と思った。

好きな人、好きな本、好きな音楽があれば、きっと私は幸せに生きていけると思うから。