ゆきノート

好きな本や音楽、同棲中の恋人とのことなどについて。

早起き/バターチキン/音の海

珍しく、土曜日の朝早くに起きた。

普段はと言えば、金曜日は仕事終わりに一人暮らしの恋人の家に向かい、お酒を飲んでご飯を食べて、ごろごろしながらテレビを見たりしていたらいつの間にか眠っていて、目が覚めたら土曜日の昼前という感じだ。今日に限っては恋人が朝から研究室の用事があるというので、折角なので私も一緒に家を出ようということで堂々の7時起床を達成した。

身支度をして、アパートを出る。暖冬とは言ってもさすがに12月半ばの朝の空気は刺さるように冷たいし、吐く息も当然のように白い。2年前のシーズンオフセールで買ったお気に入りのコートも、今シーズンは前日に着始めたばかり。あまりの寒さに、手首の周りについている分厚いファーで自分の首元を包み込む。

土曜日の朝の風景は、やはり平日のそれとはどこか違う。人の多さの違いのせいなんだろうけれど、なんとなく、街全体が金曜日までの喧騒から解き放たれて静寂の中に横たわっているような感じがした。平日の朝よりも時間の流れがゆっくりになっているような気がした。そういえば昨日は金曜日だった。忘年会シーズンということもあり、きっと夕べはこの駅前通りもたくさんの人で賑わっていたことだろう。多くの人の酔いや疲労や幸福を全て受け止めたこの街も、今はこうして疲れを癒しているのかもしれない。

地下鉄の駅に入り、反対方向の電車に乗る恋人とホームで手を振って別れる。いつもよりちょっとだけ退屈で、それでもなんだかワクワクする、そんな私の週末が、また始まる。

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パンを買った。いつも使う駅にあるのだけれど、特にパンを買う用事もなくて普段はほとんど立ち寄ることのないパン屋。その時はちょうど時間を持て余していたので、何となくいつもはしないことがしたいと思った。

自動ドアが開いて、パンを焼いたときのイースト菌の香りがふわりと漂う。目の前のテーブルにはガーリックや明太子のフィリングを塗って焼き上げたフランスパン。右手のケースにはコロッケやメンチカツのサンドが綺麗に並んでいる。

こういう時に、私はいつも悩んでしまう。あまりに選択肢が多すぎると、脳が選ぶことを放棄してしまうのだろうか、どのパンにするのかが全然決められない。だからこういう時は、焼き立て、とか期間限定、とかそういった付属情報のついたものを選ぶようにする、というのが優柔不断な人間のライフハックだ。

これに加えて、私にはもう一つの裏技がある。それは「カレーパンを選ぶ」ということだ。カレーパンは基本的に美味しい。パンでカレーを包んで揚げているのだから、そりゃあ美味しい。私は美味しくないカレーパンを食べたことがない。

今回も裏技を適用し、カレーパンを購入した。ただのカレーパンではない。「バターチキンカレーパン」だ。カレーパン界の新生である。「カレー」「パン」「揚げ」という絶対美味しい三大要素に、「バター」「チキン」が加わってしまった。これは、これはもう、絶対うまいやつやん。

バターチキンカレーは、持って帰って家で温めて食べた。電子レンジで30秒、その後にオーブントースターに投入してさらに1分加熱する。手間はかかるがカレーパンのカリッとサクッと感を出すにはトースターで仕上げをする工程は必須だ。パン屋の企業努力と私の個人的努力によって最高の状態に持っていかれたカレーパンは、非常に美味しかった。他のカレーパンに比べてめちゃくちゃ美味しいというわけではないが、カレーは辛すぎず甘すぎず、ちゃんとチキンも入っていたし、パン生地のサクカリ感もバッチリ。カレーパンをチョイスした私の目に、やはり狂いはなかったようだ。

さて、この1編の文章の中で、何回「カレーパン」という言葉が出てきたでしょうか?

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先日、ほぼ人生初めて、ライブハウスなるものに足を踏み入れた。数年前から好きなバンドのライブに行くためだ。寒空の中で建物の横に列を作り、整理番号順に案内されて会場内に入る。会場の前方のステージにはギター、ドラムセット、DJブースなどが並び、数十分後に登場するであろうメンバーを待ち構えていた。場内を見渡すと、うっすらと視界が曇っている。演出用のスモークか何かの残りだろうか。ステージ後方の壁に掲げられたバンド名が大きく書かれた垂れ幕を見ると、これから繰り広げられるステージへの期待が胸を満たした。

会場が暗くなり、開演前まで会場で小さく流れていた洋楽が止まる。割れんばかりの完成とともに、バンドのメンバーが舞台袖から姿を現した。一言も発することなく1曲目が始まる。人生初のライブハウスで耳にした爆音のロック、その音の衝撃に、まず圧倒される。そして呆然とした状態から多少は耳が慣れた頃、今度はその空間に魅了される。耳を、頭を、身体を埋め尽くす、音、音、音。技巧的なギターの音色に酔いしれ、ドラムの響きには臓器を直接揺さぶってくるような力強さがあった。ボーカルの歌声に、他のメンバーのコーラスが重なり、音の余韻が会場を泳いでいく。終演を待たずにその場にへたり込んでしまうのではないかという一抹の不安を覚えるほどの音の衝撃に飲まれ、その一方で、一種の麻薬と言っても過言ではないようなライブパフォーマンスの力に酔いしれていた。

ライブハウスの床には段差がなく平らで、身長が低めな私にはステージ上の光景はあまり見えない。しかし前に立つ人の頭の間から見えるメンバーの人影が躍動するのが、ちらちらと目に映る。彼らの表情は輝いていた。表情だけでなく、その姿そのものが、真剣に物事に取り組んでいる人特有の神々しいオーラを纏っていた。彼らも私たち観客も、同様にこの音の溢れる空間に酔っていた。演者と観客が音を共有し、何もかも忘れて音の世界に没入する場所、それがライブハウスだ。

終演後、押し出されるようにして会場を後にする。会場の熱気から解き放たれて外の冷たい空気にさらされる。すっかり暗くなった会場前の道では、イルミネーションされた街路樹がグリーンとゴールドに煌めいていた。瞬きをするとその光は滲んでぼやけた。