ゆきノート

好きな本や音楽、同棲中の恋人とのことなどについて。

日曜日の夜、身の程とできない努力と。

暗い気持ちを文章にすることのデメリット、暗澹たる気持ちを言葉にすることでもっと気分が落ち込むかもしれない、読んだ人の心が曇るかもしれない。逆にそのメリット、文章にして吐き出すことで多少気分が晴れるかもしれない、自分と向き合うことで感情に折り合いをつけるための助けになるかもしれない。
天秤が僅かにメリットの方に傾いているのを期待して、今日はこの心情を文字にして綴ることにした。

私には何もない、と最近思っている。こういうと誤解を招くかもしれない。環境や人間関係に関しては、私は恵まれている。家族や恋人との間柄も良好、職場での人間関係の悩みもない。仕事も家もあるし、結婚の予定もある。他人から見れば、きっと私はあらゆるものに恵まれた幸せな人間なんだろうと思う。

私を取り巻くものには何の問題もない。問題なのは、私自身だ。私には、私自身に誇れるものが何もない。得意なこと、胸を張って好きだと言える趣味や特技、どれもが私にはない。

幼い頃から、運だけは良い人生だったように思う。受験も就職も、なんだかんだでトントン拍子に進み、今は社会人2年目として働いている。その運の良さがいけなかったのかもしれない。身の程に合わないレベルの場所に、私は身を置いてきてしまったのではないかと、この頃はそう思えて仕方がないのだ。

高校はいわゆる進学校だった。教科によって成績はまちまちだった。苦手な数学や歴史ではテストで赤点を取ることもしばしばだったが、英語だけは得意だった。大学入試も、英語の成績が飛び抜けて良かったおかげで第一志望校に合格した。

そうして入った大学。この頃からだんだん、自分のレベルと自分を取り巻く環境のレベルに乖離を感じ始めたように思う。好きな分野のつもりで選んだ学部も、その講義内容は正直言って私の脳では理解が追いつかなかった。学部の同級生が卒業に必要な単位を2年の後期でほとんど取り終える中、私は3年の後期まで講義を受け続けていた。単純にテストでうまく点が取れなかったり、朝起きるのが苦手すぎてそもそも午前中の講義に出ることができなかったりと、とにかく私はあの学部の中では劣等生だった。

それでも何とか大学は卒業。なんとか今の会社への内定も決まった。この就職も、本来正しい道ではなかったのかもしれないと、今では思ってしまう。就職試験は、筆記試験も面接もはっきり言って全く手ごたえがなかった。それでも結果は合格。おそらくギリギリの順位での内定だったのだろう。昨年の4月から今の会社で働き始めてまず思ったのは、仕事が難しいということだった。しかし、社会人1年目だった昨年は、新入社員なんだから仕事なんてできなくてもまあこんなものだろうと思っていた。

そして迎えた社会人2年目、私は多分、ほとんど成長していない。仕事はできないまま。身に着いたのは慣れと諦め。周りからお荷物と思われているんじゃないかという不安と、どうしていいか分からないまま溜まっていく仕事への恐怖心と自己嫌悪。そんなものたちに心が押しつぶされそうで、でもそんな状況を生み出したのは他ならぬ私の怠惰と弱さのせいで。迫りくるプレッシャーから逃げ続ける日々から抜け出せないことが怖くて情けなくて。

どうして私はここにいるのだろうと、最近働いていて思う。職場の上司や先輩は、皆揃いも揃って仕事のできる人ばかりだ。知識、理解力、コミュニケーション能力、全てが当たり前ながら私には到底追いつけないほど優れている。私が彼らと同じ年齢になった時、果たして私は彼らと同じように円滑に仕事ができるようになるのだろうか。何度想像しても、私が同じような能力を身につけられるビジョンが沸かない。私のスキルアップのための努力が足りないのか、根本的に私の能力が及ばないのかは分からないが、私には少なくとも今の職場で円滑に働くということが不可能なのではないかと思う。

今年の4月からの新入社員が隣の課に入った。課が異なり業務内容も違うのでよくは分からないものの、仕事がとてもよくできる子なのだというのはひしひしと感じる。まだ入社して半年ちょっとなのに優秀で仕事ができる後輩と、2年目なのに入社当時から大した成長もなく一人じゃろくに自分の仕事も片づけられない私。人と自分を比べて落ち込むなんてナンセンスなことだとは重々承知なのだけれど、どうしてもそう言ったところから要らぬ劣等感を引き出してしまうのが、神経質でネガティブな人間の定めなのだろう。

怖い。自分の努力不足と能力の不足のせいで周りに迷惑をかけることが。怖い。「あいつのせいで余計な仕事が増える」「全然仕事もできない足手まといなやつ」と思われることが。この社会に生きる誰もが、何らかの生きづらさと戦っていて、何かを励みにその中でも強く生きていけるようにもがいている。でも、その「誰も」と私を、同じベクトルで語ってはいけないのだと思う。皆が打ち勝とうとしている「敵」は、自分ではどうしようもない人間関係の悩みだったり、努力してもなかなか叶わない夢だったりするのだと思う。それに対して私の苦しみは、自分の努力不足が生み出したやりづらさだ。私が仕事をするうえで十分な努力をしてこられなかったせいで、私は仕事ができないままで、自分の能力では処理できない仕事を与えられて途方に暮れている。自業自得なのだ。

それでもどうしても十分な努力をすることができないのが、本当に私の弱いところだと思う。仕事ができない分、誰より集中して仕事しなければと思うものの、どうしても仕事中に異常な眠気に襲われてうとうとしてしまう。眠気を覚まそうとコーヒーを飲んだり廊下に出て歩き回ったりしてみるものの、眠気がなかなか取れない。ひどい時だと丸一日中ずっと眠気が強くて思うように仕事に取り組めないまま一日が終わる。

今日も元々は自主的に休日出勤するつもりだったのに、結局職場に足を運べなかった。「まあ何とかなるでしょ」とやらなければいけないことを先延ばしにしてしまうのは私の悪い癖だ。これまでは実際に何とかなってきたけれど、これから先もそれが通用する保証はない。この悪癖を持つ私は、常に破滅と隣り合わせだ。

明日は朝早く起きて仕事に行かなければならない。その次の日も、そのまた次の日も。こんな生活がいつまで続くのだろう。私はこれから何を目指して生きていけばいいのだろう。やりたいこと、極めたいこと、どれだけ考えてもこれといったものが浮かばない。自信をもって好きだと言える趣味もない。このまま今の職場で働き続けて、スキルの向上も見られないまま勤続年数だけを積んで、職場のお荷物として生きていくのだろうか。残念ながら今の私にはそのビジョンしか浮かばない。

今夜眠れば朝が来て、憂鬱で不安な平日が始まって、私は一日一日をやり過ごして生きていくのだろう。負のサイクルから抜け出すための努力をしようにも、何をしていいかもよく分からないし行動を起こす気力もない。こうやって書き出してみると、本当に自分のダメさ加減が浮き彫りになって余計に悲しくなってくるのだけれど、これが私のリアルな現状なのだと思う。どうせ時が過ぎればこの憂鬱な気持ちもすっかり忘れてしまって暢気に過ごす日々のサイクルが巡ってくるのだろうけど、どうしても今の私はこんないくら考えたってどうしようもない暗黒のループに落ちて行ってしまう。こんな情けない思考の渦から抜け出せる日が一刻も早く来るのを願って、今日は眠ることにしようか。