ゆきノート

好きな本や音楽、同棲中の恋人とのことなどについて。

あの人の生まれた日によせて

いつも通りに出勤して、メールをチェックし書類を作成する。いつもと変わり映えしない事務作業に飽き飽きして、あと何分でお昼ご飯だろう、とノートパソコンの画面右下の日時の表示に目を向けた時に気付いた。

ああ、今日は彼の誕生日だ。

「彼」と私は会ったことも話したこともない。私は彼のことを知っているが、彼は私のことを知らない。

「彼」は芸能人だ。

私は数年前まで彼のファンだった。いや、厳密にいえば今もファンなのだと思う。かつて私は彼が出演するテレビ番組はどれも欠かさず録画し、彼の姿や言葉が掲載される雑誌や書籍も可能な限りチェックするという、なかなかにハードないわゆる「ヲタク」だった。毎日彼のことを考えながら学校に通い、授業を受け、部活やサークルに励んでいた。いつからかその時の熱意は静かに冷めていった。かつてほど熱狂的ではなくなったが、一応今でも私は彼のことを応援しているし広義の「ファン」のつもりでいる。テレビに出ているのを見たらチャンネルを変える手を止めるし、たまにCDや本も買う。

もちろんその頃の私は、毎年彼の誕生日が来るたび、自分の誕生日かのように心を躍らせていた。ある時は彼のイラストを描き、ある時は彼の好きなところを書き連ねた文章を書いてブログやSNSにアップした。全くの他人であり、私の存在を認識してすらいない一人の男性の誕生日であるという事実だけで、私の創作意欲はくすぐられ、その結果いくつかの「作品」が生み出されたのだから、何かに対する「好き」という気持ちは大したものだと思う。

かつてはカウントダウンまでして心待ちにしていた彼の誕生日は、今となっては仕事中に「そう言えば」と思い出すただの平日になってしまった。でも、あの頃のキラキラした瞳でテレビの向こうの彼を見つめる少女がいたから今の私がいるわけで、何かを好きだった気持ちや経験はきっと、ひっそりと私の中で生き続けている。

これからも私は、色々なもの、人を好きになっていくのだろうと思う。夢中になれるものがあって、大切だと思える人がいるのって、なんて幸せなことだろう。好きなもの、好きな人との出会いはこれからの人生の中で、心の中にどんどん降り重なっていく。好きになればなっただけ、その層が分厚く、色とりどりになっていく。自分の中にカラフルな地層みたいなものができていくことを想像すると、なんだかそわそわするような、ときめくような、そんな気分だ。

テレビの向こうの彼も、幼い頃家族で見た妖精が出てくる映画も、夢中で聞いてCDに合わせて一緒に歌ったあの歌も、あの雑誌も、あの小説も、家族も、友人も、恋人も、全部が私の中に「ある」。私がこれから何を好きになろうと、そのみんなが私と一緒に歳を重ねると思うと、今までたくさんの好きなものに囲まれて生きてきた私を丸ごと抱きしめてあげたくなる。

こんなことを考えていると、今もテレビの向こうにいる彼の歌声を久しぶりに聞きたくなった。あの頃大好きだった甘い歌声を、両耳のイヤホンから聴きながら電車に揺られる私を見たら、カラフルな地層の中で横たわる彼は、困ったように笑ってくれるだろうか。