ゆきノート

好きな本や音楽、同棲中の恋人とのことなどについて。

この旅を記憶に閉じ込める

名古屋から電車で2時間超、岐阜県下呂温泉へ、私たちは向かっていた。

思い立ったのは確か2週間前、私と恋人は1泊2日の温泉旅行の計画を立てたのだった。元々はディズニーランドに行くつもりだったが、この暑い時期に一日中歩き回って、行列に並んで、アトラクションに乗って、というのはちょっと体力的にきついのではないかと思ってのこと。最近特に私の体力が無さすぎて、ちょっと蒸し暑い日に街に出て買い物したり歩いたりするときですら、こまめに休憩を挟まないと疲れて動けなくなってしまうことが多い。こんな状態で夏のテーマパークにいくのは負傷兵が戦場に突入するようなものなので、なるべくエネルギーを使わずだらだらできそうな、近場の温泉に行くことにしたのである。

金曜日の昼過ぎに名古屋を出て、15時過ぎには下呂に着くという計画。私はこの日のために一日有休を取得した。仕事を休んで温泉に出掛けるとは、なんて贅沢な一日なんだろう。それこそ大学生の時は、不真面目な学生だった私は講義をサボりまくっていたので、一日だらだら過ごして終わったり、朝から講義を取っている日に目が覚めたら昼過ぎだったということなんてざらにあった。しかし、大学生の時に味わっていた休みの一日よりも、社会人になった今、こうやって満喫する休暇日の方が何倍も尊く、充実しているように感じる。人は何かを失ったとき、失ったものの大切さに気づくのだ。

電車に揺られてのんびりと目的地へ向かう。旅の目的が温泉宿でくつろぐことしかない私たちに、旅路を急ぐ理由はない。金曜の昼下がりの普通列車で、学校終わりの高校生に囲まれて温泉地へ。窓の外、遥か下に見える川の水面は、両岸に生い茂る木々の葉の色を反射してか、爽やかな緑色を揺らめかせている。ゆらゆら、ゆらゆら。何かの工事用であろうクレーンを屋形船と見間違えた辺りで、電車は下呂駅に到着した。

そこから先は、特筆することもないようなTHE・温泉宿での過ごし方しかしていない。温泉に浸かって、部屋でごろごろして、バイキング形式の夕食を食べて、もう一度温泉に浸かって、部屋でカードゲームをして、眠りについた。言葉にしてしまうとそれだけのこと。でも、何の変哲もない温泉宿で恋人と過ごした想像通りの時間がどれも楽しくて愛おしくて、旅行特有の高揚感の奥底で私は涙が出そうだった。

夕食バイキングで恋人が浴衣の袖を醤油に浸したこと。外の景色が見える窓際の席に通されてテンションが上がったけど、だんだん外が暗くなってきて自分たちの姿しか見えなくなったこと。ゲームコーナーの子ども向けのメダルゲームのボタンを夢中になって連打したこと。太鼓の達人で遊んだら予想外に4曲目まで行ってしまって腕が死んだこと。恋人が拭いきれなかった醤油の匂いが、バチを振るたびに流れてきたこと。卓球でへとへとになったこと。お風呂上りに一緒に飲んだコーヒー牛乳の甘さ。部屋に置いてあったパズルを全クリしてハイタッチしたこと。

ずっとこうして、楽しくて、嬉しくて、わくわくした、そんな時間を共有できたらいいな。

付き合って4年と半年の恋人同士のただの温泉旅行でこんなこと思うのは変かもしれないけれど、これまでとこれからの幸せをぎゅっと集めたような、もったいないくらい愛おしい旅行だった。

内向的でネガティブな私は、こんな幸せな時間の中でもどこか奥深くで、「この幸せが今日を限りにしぼんでいってしまったらどうしよう」「今こんなに楽しいと、これから何か悪い方向に向かうのではないか」なんて考えてしまう。でも、今日のこの最高の思い出が、そんな私の弱音や不安もまとめて上から塗りつぶしてくれる気がする。

帰りの電車で疲れて眠る恋人の向こうに緑色の川が流れるのを横目に、スマホのメモアプリを開いて、1泊2日のあれやこれやを書き記した。幸福な記憶を、文字に留めて残しておきたかった。いつかまた日々が辛くなったとき、この旅を思い出そう。しばらくして目を覚ましたものの自分が眠っていたことに気付いていない恋人の向こうに映るのは、川ではなく都会のビルの群れになっていた。