ゆきノート

好きな本や音楽、同棲中の恋人とのことなどについて。

話せないなら書けばいい。私には文章がある。

 周り皆が簡単にできている(ように見える)ことが、私にはできない。そう感じることがよくある。
 とりわけ苦手なのが、人前で話すことだ。研修などで、全く予想していなかった場で急に「これから一人ずつ自己紹介をしてもらいます」なんて言われた日には、もはや怒りがこみあげてくる。今日は職場の研修で、まさにその恐れていた事態が起こってしまった。
 自分の順番が回ってくるまで必死に話の構成を考え、よし、これでなんとか行けそうだと思っても、いざ前に立つと頭が真っ白になる。
 まず言葉が出てこない。言いたいことのイメージは頭の中に漠然としてあるのに、それを順序だてて話そうとすると、途端に言葉に詰まってしまう。自分の声や手が震えていることに動揺して余計に緊張が高まる。こうなると折角考えた構成もぐちゃぐちゃで、客観的に見ても何が言いたいんだか分からないスピーチが完成する。
 収拾のつかなくなった話を無理やり締めくくって、申し訳程度のお辞儀を残して逃げるように自分の席に戻る。高鳴る心臓を撫でおろしつつ、自分の言いたいことがきっと伝わらなかったであろうことを自覚し、なんで毎回こうなってしまうのかと悲嘆に暮れる。
 そんなことをこれまで何回繰り返してきたのだろう。

 案外みんなこんなもんなんじゃないかと思うこともあるが、そう思って他の同期が話をするのを聞いてもやはり誰もがまとまっていて余裕のあるスピーチをする。手と声が震えている人なんて私以外に誰も居ない。
 そりゃそうだ。私たちは会社に入ってもう2年目なのだ。入社してからの一年で一通りの最低限の仕事を経験する中で、大勢の前で軽く話をするスキルは既に身につけている「はず」なのだ。
 それなのに、私はできない。たどたどしいスピーチを終えて席についてから、私は惨めな気持ちでいっぱいだった。なんで私にはできないんだろう。なんで。

 思えば、これまでずっと、言いたいことをうまく伝えられない人生だったように思う。気が弱いせいで自分の意見をはっきりと言えないというのもあるが、それよりも自分の考えていることを素早く言葉で表現できない、というのが大きいように思う。
 仕事をしているときもそう。業務の中で疑問に思うことがあって、先輩や上司に質問しようとしても、自分の疑問をどう相手に伝えていいのかが分からない。何とか伝えるために話す順序を考えても、結局通じず、自分でも何が分からなかったのかが分からなくなる。
 恋人といる時もそう。将来のことや生活のことなど大事な話をするときなど特に、何となくこうしたい、ということは頭の中にあるのに、言葉が出てこなくて押し黙ってしまい結局何も伝わらずにもどかしい思いをすることがこれまで何度もあった。
 気楽なデートの時ですら、自分が疲れているから休みたいのか、やりたいことや行きたい店があるのか、そろそろ帰りたいのか、自分でもわからなくなって、頭が混乱して余計に疲弊するということが多い。

 こうなってしまう原因も、これまでいろいろと考えてきた。単純に語彙力がないのではないか、また言語表現の能力に欠けているのではないか、とか。しかし、こうやって文章が書けている時点でそれらの理由は正解ではないように思う。
 となると、おそらく私は「会話する」ということが極端に苦手なんだと思う。特にとっさに返答をしなければいけないような、仕事での会話や付き合いがあまりない人との会話が苦手だ。家族や恋人のようにあまり気を遣う必要のない相手であれば、多少言葉に詰まったり話の流れがめちゃくちゃでもこちらのペースに合わせてもらえる。そういうプレッシャーのなさが、会話のしやすさにダイレクトに影響を与えている。

 ということに気付いたのがここ2,3年でのことだ。そしてもう一つ悟ったのは、おそらく私のこの会話能力の欠如は、多少改善されることはあっても根本的には治ることはないということ。社会経験を積み重ねていけば何とかなるかもとも思ったが、これまで二十数年生きてきて、正直私はもう会話することに対して自信が全くない。家族や恋人のように本当に一緒にいたいと思える人と気兼ねなく会話ができればもう十分なんじゃないかとも思ったりする。
 とは言っても、他者との関わりを持ちたくないわけでは全くない。これだけのことを語ってきて変な話ではあるが、私は人と関わること、誰かの役に立ったり、誰かの話を聞いたり触れ合うことで新しい世界に触れるのが好きだ。でも、他者と関わることで無意識に相手を傷つけたり、逆に思わぬことが引き金になって自分が傷つくのが怖い。だからなかなか他者に近づけず、距離をとってしまう。そんなどうしようもない、寂しがりで天邪鬼な人間が、私だ。

 そんな私が唯一縋ることができるのが、文章表現だと思っている。会話と違って文章は、相手の発した言葉に反応して瞬時に言葉を返す必要がない。自分が考えたことを、紙に書いたり頭の中でゆっくりと整理したりして、言葉を選びながら少しずつ考えることができる。途中まで書いてからやっぱり直したいと思った時も、文章でなら自分の中でじっくり順序だてて考え直すことができる。会話の場合はそうはいかない。伝えたいのと違うことを言ったと思った時でも、とっさに訂正したり話を本筋に戻すことができず、どんどん会話が逸れていってしまって何が何だか分からなくなる。
 というわけで、大学生の時にブログをはじめ、書いたり書かなかったり、方向性に悩んで何回もブログを作り直したりしながら今に至る。この広いネットの海には、私が途中まで書いてそのままにしているブログやホームページが5,6個転がっていると思う。
 そしてきっと、これからも懲りずに何度かそれを繰り返していくのではないかとも思う。なんにせよ、「会話」という場面では言いたいことを言えない私が「文章」という表現手段に出会えたことはなんとも幸福なことだと思う。
 これからの人生で悩んで行き詰った時、きっと「書くこと」が私を明るい方向に導いてくれる。辛いときは、このパソコンの前に座ってキーボードを叩いてみよう。コーヒーでも飲みながら文字を連ねていれば、前を向けるよ、きっと。